異色の御花 第2話 『予兆の蕾』

2010.10.03 23:49|長編小説『異色の御花』

 俺のこの力は、生まれつき持っていたものなのだと思う。
 生まれたときから使っていたわけではないが、その時には既に髪は紺色だったと聞いているので、恐らくそうなのだろう。
 とにかく、俺は小学校に入学する頃には、力を使えるという自覚があった。
 その当時の俺が、どういった経緯でそれを認識できるようになったかは覚えていない。
 誰に教えてもらうでもなく、本能的に理解する、という感覚の話だったのかもしれない。
 そこが謎ではあるのだが、別にそれは瑣末なことにすぎない。
 問題なのは、俺はこの力の所為で“ある出来事”を境に、周りから気味悪がられる存在になってしまったという事だ。
 幸いにも、いじめのような大きな問題に発展する事はなかったけれど、それも当然の話だった。
 決して関わってはいけないという暗黙の了解でも築かれていたのか、皆一切俺には近づこうとせず、不可抗力で話をせざるを得ない状況になったらなったで、まるで腫れ物に触るように接してくるのである。
 こんな事態になってしまえば、いくらその時の自分が幼かったとはいえ、流石に認めるしかなかった。
 何の謂れもなく、俺は畏怖されているわけでは無い。
 そこには、皆が気味悪がる奇怪な力を自分が使えるという事実が、確かに存在しているのだと。
 だから自然に、俺もクラスメイトらを避けるようになった。
 そして、それ以降、人前で力を使うなんて馬鹿な真似もしなかった。
 事態に気付いた親から言いくるめられたから、という理由もあったが、なによりも、それがやってはいけないことだったということを、これもまた、幼いながらに俺は理解した……というよりは、理解せざるを得なかったからだ。
 そんな自分の物分かりのよさと、それに付随した行動が功を奏したのか、“ある出来事”というのは小学校低学年の頃に起きたことなのだが、あれだけ避けられていたのが嘘のように、学年が上がるにつれて、俺を気味悪がる者はどんどん少なくなっていった。
 人の噂も七五日ということわざがある。
 事件やスキャンダルが世間を騒がせ、新聞や雑誌、テレビのニュースを連日埋め尽くす、なんてことは、一年という短い期間の間でさえ何回も目にする光景だ。
 しかしながら、その一つ一つを拾い上げて見てみれば、それらがマスメディアを独占している期間なんて、高が知れている。
 何と言ったって、世界は彼らが退屈する暇なんて与えないほどに、新しい事件という名の餌をばら撒いていくのだ。
 情報媒体が今ほど発達していなかった昔でさえ、伝聞でその時々の世間話というものは、どんどん上書きされていった。
 小学生という多感な時期であれば尚更、興味の対象というものは移り変わってゆく筈である。
 俺が何も行動を起こさないのを見て、皆奇怪な力の事など忘れてしまうか、そんな変な力なんてものは存在しないしありえないと、あの出来事をなかったことのように切り捨てて行ったのかもしれない。
 中学に入る頃には、俺を避ける連中なんて、同じ学年に数人程度だった。
 しかし、何の拍子でその事が露呈するか分からない。
 だから、俺は極端に人を避けるのは止めて、とにかく目立たないように生活を送ることにした。
 その結果が、今の自分に繋がっていると言っていい。
 そして、高校受験を控える中学三年の夏休み、俺は全てを吹っ切る為に、隣県の高校に進みたいという旨を、両親に告げた。
 両親とも、最初は反対していた。
 力の事を心配して、というのもあるし、なにより俺はそれまで家の手伝いを全くやってこなかった為、家事全般がからっきし駄目だったからという理由もある。
 両親だけじゃない、妹も隣県の高校への進学に反対していた。何故か両親よりも、その反対ぶりは強かったと思う。
 だが、何とか両親の反対を押し切り、俺はこの高校を受験し、見事合格する事が出来た。
 そして、嫌な思い出ばかりの地元から抜け出すことに成功したのだ。
 おそらく、俺の短い人生の中でも、大きな分水嶺となる出来事だったのだと思う。
 まあ、一つ不可解だったのは、両親でさえ最後には折れてくれたというのに、何故か妹だけが最後まで反対し続けたことだ。
 小さい頃から世話焼きで、妹ながらに面倒を見てくれていたから、余計に俺の事が心配だったのかもしれないが、何もあそこまで憤慨しなくても、というぐらいに、普段の温厚な性格からは考えられないくらいの断固とした反対ぶりだった。
 あの時のことを思い出すと、今でも胃が重くなってくる。


 昔の事を思い返しながら歩いていると、気がつけばそこは自宅であるアパートのすぐ近くだった。
 時間が時間なので周りは暗いものの、既に視認できる位置にそれはある。
 アパートは2階建てで、自分が住んでいるのは2階の階段から向かって一番奥の部屋だ。
 帰ったらまずはご飯にしよう。そんな事を考えながら、視線をアパートの自室の方へと向ける。
 そこで、俺は自分の目を疑った。
 ――――部屋の電気が……付いてる?
 思わず立ち止まって、今の状況について考える。
 電気の消し忘れ? いや、今日の朝は電気なんてそもそも付けてなかったし、それはない。
 とすると……。
 必然的に頭の中に残った一つの可能性、それは……

「空き巣!」

 最近、空き巣がこの付近に出没したなんて話は聞いていない。
 まさか、自分の家が被害者第一号になったということなのだろうか……。

「と、とりあえず警察に電話を……」

 所詮一人暮らしの学生の部屋だ。
 盗まれてかなりの損害が出るような代物はないが、盗まれる物はないに越したことはない。
 携帯電話を取り出し、110番へつなげるべくボタンに指をかける。
 でも、もしここで警察に電話したら、その後はどうなるんだ? そんな自分の思考が、作業を途中で止めてしまった。
 警察が駆けつけて犯人を逮捕するか、もしくは間に合わずに逃げられてしまうのか。
 つまりは被害が出るか出ないかだが、今はその事は置いておく。
 この二つの可能性の場合、どの道“空き巣に入られた”という事実だけは残ってしまう。
 そうなれば、たとえ犯人を逮捕できたとしても、警察は地域住民への注意の呼びかけを行うだろう。
 もちろん、学校へ連絡も行くはずだ。
 学校側がこの事を知れば、俺が一人暮らしだという事を考慮して、わざわざ家へ連絡を入れてしまうかもしれない。
 そして、その連絡を聞いた両親は、きっと露骨に心配するに違いない。
 一人暮らしを始めてもう一年は経とうとしているのに、未だに心配の電話を頻繁にかけてくるような親なのだ。
 妹にいたっては、これを機に家に帰って来いと言いかねない。
 自分を呼び戻そうとする妹の姿が容易に想像出来た。
 やっぱり警察は駄目だ。今の平穏な生活を奪われるわけにはいかない。
 深く深呼吸をして、心を無理にでも落ち着かせる。覚悟を決めなければ……。
 ここは、自分で何とかするしかない。


 なるべく音を立てないよう、静かに階段を上がった俺は、次に腰を低くしてそのまま自分の部屋の前まで移動した。
 玄関に耳を当てて、中の様子を窺う。わずかにだが、物音のようなものが聞こえてきた。
 やはり、誰かしら人がいるのは間違いないようだ。そのままドアノブに手を掛け、回す。
 鍵は……開いている。俺は改めて、静かに深呼吸を繰り返した。
 何とか気持ちを鎮めようとするものの、既に心臓の鼓動は早鐘を打っており、手の平や首筋にはじっとりと汗が浮かんでいた。
 自分がどれだけ緊張というものに弱いのか、嫌でも理解できてしまう。
 俺が今からやる事は、空き巣犯に気付かれずに近づき、不意打ちで撃退すること……。
 当然ながら、それがどれだけ無茶な行いなのかは分かっている。
 自分は運動はそれなりに出来る方だが、喧嘩は全くやったことはないし、武術の類も習った事はない。
 若さだけが取り柄の全くの素人が、誰ともしれない相手に対して挑もうというのだ。
 無茶以外の何物でもない。
 ましてや、相手が包丁などの凶器の類を持っていれば、今度は自分の命に関わる問題にもなってくる。
 さすがに……丸腰は怖いな。
 何か棒状のもの、ほうきでもいいから、そこらに何かないだろうか?
 周りを見渡しても、2階の廊下はきれいに整理されていて、もの一つ転がっていない。
 ……仕方ない。
 辺りに誰も人が居ない事を確認し、能力を発動する。右手の手の平の上で蒼白い光が瞬き、数秒を持って氷の棒が生成された。
 長さは警棒程度。
 室内で使う事を考慮して長過ぎないように作ったが、それがどれ程のプラスになるのかは、正直に言って怪しいところだ。
 最後に俺はもう一回深呼吸をして、氷の棒を強く握りしめた。行こう。
 音を立てないよう、慎重に玄関を開け、半分ほど開けたそこから入り込む。
 玄関は完全には閉めず、僅かに隙間が開く程度にした。
 何か考えがあっての事ではない。単純に、音が出てしまう事が怖かったからだ。
 玄関から見えるのは、居間の半分ほど。幸いなことに、そこに空き巣の姿はない。
 そうなると怪しいのは、自室、今は使用していないもう一つの部屋、ここからでは死角になって見えないキッチン、風呂・トイレ、という事になる。
 流石に風呂やトイレに居る事はないと思う。となると、空き巣がいるのはおそらく二つの部屋のどちらか。
 目星は付けた。だが、キッチンに居る可能性もまだ捨てきれない。
 まずはそこから確認していく必要があるだろう。
 息を殺しながら、慎重にキッチンの近くまで進む。わずか数歩のことながら、いやに長い時間に感じられた。
 角を隔てれば、キッチンはすぐそこ。既に覗きこめる場所に、そこはある。
 だが、もしそうして目でもあった時には、正直次の行動へ移れる自身はなかった。
 ここに来て、俺の緊張もピークに達していたのだ。
 手にはかなりの汗が浮かんでいて、何の拍子で氷の棒を落としてしまうか分からなかった。
 ……飛び出そう。 相手がどこを向いていても、多分不意は突ける。
 何の根拠もない自信。だが、そう思わずには、とてもじゃないがやれそうになかった。
 頭の中でカウントを始める。
 3……2……1、
 っ!
 俺は氷の棒を上段に構えて、一気に飛び出した。

「!?」

 そこには――――誰も居ない。

「はぁ……はぁ……」

 緊張で心臓がはち切れそうだ。
 ここは、もう大丈夫。だったら、次に行かないと。次に……。
 だけど、そうは思いつつも、体が中々動きだそうとしない。
 安全であると確認できたこの場所に、縋りつきたい気持ちがあったのかもしれない。
 それぐらい鬼気迫っていた。
 更には、あまりの安堵に膝に手をつき、構えさえも解き、脱力してしまった。
 まだ安心できる状況ではないと、分かっていた筈なのに……。
 そして、そのまま呆けていた俺に、

「何をしているのですか?」

 そう問いが投げかけられ、それに反応する前に、声の主が後ろを取った。
 後ろから手が伸び、首筋に冷やりとした何かを当てられる。
 ――――終わった。
 瞬間的に、頭にそんな言葉が浮かんだ。
 完璧に身動きが取れないこの状況、自分には最早どうしようもない。
 空き巣を捕まえようとして反撃に遭い、殺される。酷く滑稽な話だ。
 だけれど、事ここに至って、先程までの緊張が嘘のように頭に冷静さが戻ってきた。
 そして、そうなってから気付いた。
 この声、かなり聞き覚えが……いや、もとい知っている。

「って、兄さんじゃないですか」

 その言葉とともに、首に当てられていたものが離れていく。
 その手に握られていたものはカッターだった。
 しかし、それを持つ手は白く、細く、きれいで、自分が想像していた空き巣のイメージとは大きくかけ離れていた。
 その手の持ち主は――

「もう、驚かせないで下さい」

 俺の妹である『榊原菫(さかきばらすみれ)』のものだった。



「な、なんだ、菫か……」

 あまりの安堵に、俺は膝から崩れ落ちてしまった。
 緊張を抑えて、能力まで使って、必死こいて空き巣を捕まえようとしていた自分の苦労は一体なんだったのだろう。

「なんだじゃありませんよ。夕食の準備も一段落したから、掃除でもしようと部屋に入ったら、こっそり玄関から人が入ってくる音が聞こえたんですよ。強盗かと思いました」

 どうやら、菫には最初からバレバレだったみたいだ。
 確かに、隠密行動なんて一介の高校生に出来る事ではないだろうが、いや、それにしたって――――

「こっちだって、家の灯りがついてて、空き巣にでも入られたと思ったんだ。そもそも、強盗相手にカッターで立ち向かうなんて、反撃でもされたらどうするつもりだったんだよ」

 どこの世界に強盗の後ろを取って、刃物で動きを封じる中学生が居るというのだろう。
 俺の言葉を聞くと、菫は俺が持っている氷の棒に視線を移し、眉根を寄せた。

「そんなものを持って空き巣に挑もうとした兄さんに、言われたくはないですね」
「うっ……」

 全く持っての正論。
 更に言うと俺は、強盗の不意を突くつもりで、逆に不意を突かれている。
 反論出来る状況ではなかった。

「それに、外に居る時点で気付いたのなら、何故警察に通報しなかったんですか? 一人で対処しようなんて、余りに危険すぎます。そうでなくたって、他に方法はいくらでもあった筈です」

 菫に怒られつつも、今になって、当初の計画通りに進んだ場合の後処理をどうするのかが、疑問として頭に浮かんできた。
 犯人を野放しにすることなんて、当然ながら出来る筈が無い。
 では、どうするのか。
 ――――やはり、警察に通報するしかないのだ。
 菫の説教が身に染みる。
 自分は何て考え無しだったのだろう。危うく無駄に命を掛けるところであった。
 焦っていたとはいえ、ちょっと考えればすぐに思い至った筈だ。
 とはいえ、ここまで言われると、ちょっと言い返したくもなる。
 
「確かにそうだけど…………そ、そうだ、来るなら来るって連絡してくれれば、こっちだってこんなに慌てずに済んだんだぞ」

 合い鍵は両親に渡してあるから、菫がそれを借りて勝手に入ってくるのはいい。
 だけど、連絡でもしてくれなくては、自分がいない間に誰かが自宅に入り込んでいたら、驚くのは当然の事だ。
 すると、菫は先程のまでの不機嫌な顔から一転、笑顔で問いかけてくる。

「兄さん、学校から帰って来るまでに携帯電話はチェックしました? 私、メールも送りましたし、電話も掛けましたけど」

 ……そういえば、学校を出てから全く携帯はチェックしていない。
 マナーモードにしっぱなしで、買い物の為にスーパーなどを回っていたから、気付かなかったのだろう。
 携帯を開くと、確かにメールが三通と、着信が2つある。

「……ごめん、気付かなかった」

 何もかも、全面的に責任があるのはこちらだ。

「もう、そんなことだろうと思ってました」

 呆れたと言わんばかりに、菫は笑顔を崩した。
 ――――ああ、これはまた説教かな。
 以前は優しかった菫も、俺がこの高校へ進学する事を述べてから、説教ばかりするようになってしまった。
 俺のだらしのないところを見つけては、正座をさせて10~20分は続く説教をする。
 実家に居た頃も、ここに来てからもそれは変わらない。
 俺を案じての事なのだということは分かる。生活能力に欠けている俺を心配して、わざわざ怒ってくれている。
 そこには感謝をしている。菫は本当に、兄の自分よりも良く出来た妹だ。
 とはいえ、怒った菫は妙に迫力があって、説教を受けている間は身の縮む思いをしていなければならない。
 そんなわけで、俺は説教を耐え抜く覚悟を決めて、菫の次の言葉を待った。

「……はぁ、もうすぐご飯の支度が出来ますから、待ってて下さい」
「ああ、ありがとう……え?」

 だが、予想に反し、菫の話はそこで終わる。

「どうかしました?」
「いや、何も……」
「そうですか」

 菫はカッターを部屋にしまうと、すぐにキッチンに戻り、夕食の準備を再開し始めた。
 多少疑問に思いはしたものの、あれこれと考える元気は、今の俺にはない。
 先の一件が妙に体に響き、どっと疲れてしまった。今は菫の言葉に甘えるとしよう。
 まあもとより、自分が菫の手伝いをする事などまれではあるのだが。
 俺は荷物を自室へと置き、すぐに居間へと戻った。


 長方形のテーブルに着き、何をするともなく、菫が食事の支度をする光景を眺める。
 菫は、昔から物事を器量良くこなすことの出来る奴だった。
 勉強や運動はもちろんのこと、家事全般という家のことまで、既に小学生の頃から、そのスペックは自分より高かったのではないだろうか。
 当時塞ぎ込んでいた俺の世話を焼いていたのも、菫だった。
 あの頃から既に良い妹だったのだが、よくそのまま成長したものだと思う。
 普通は兄に対して嫌悪する時期くらい、どこの妹さんにもあるものだと思うのだけど、菫はそういったものが全くなかった。
 これで両親に対しての反抗期もなかったというのだから、本当に菫は良く出来た人間だと思う。
 『天は二物を与えず』という言葉を、菫に関してだけは疑わざるを得ない。
 菫の容姿は…………そう、蕗乃辺りと比べると身長は少し高い程度だ。
 だが、その分細く、色白で、見た目はか弱い少女そのもの。蕗乃の方が肉付きはいいのだと思う。
 髪は漆器の様に輝く黒色で、普段から黄色のシュシュでその髪を後ろでまとめ、ポニーテールにしている。
 道行く人々に尋ねれば、誰もがかわいいと口を揃えるであろう事が、想像に難くなかった。
 見た目も、中身も良い。
 別に、豊富な才能と優れた容姿を持ち合わせている妹を羨ましいと思った事はない。
 こんな兄の次に生まれて、何故それ程のものを持っているのかと、心底疑問に思った事ならあったが。

「出来ましたよ」
「ああ、うん」

 気付けば、既に夕食は出来上がっていた。配膳を手伝い、料理を運び終わったら、二人向き合ってテーブルに着く。
 二人で食事をするときは、この位置取りが通例であった。挨拶をして、食事に手を付ける。
 そういえば、菫の料理を食べるのって、先月以来だっけ。
 菫がここに来るのは、特別珍しい事ではない。いや、むしろ去年などはそれが当たり前だった。
 俺が実家を、地元を、自分が生まれ育った県を出て、この場所に一人暮らしを始めてから、菫は毎週末、このアパートまでやって来るようになった。
 土曜の朝に来て、俺の世話をしつつ一泊し、次の日の午後に実家へと帰る。
 余程重要な用事でもない限り、菫はそれを毎週休まずに行っていた。
 最早、感嘆の言葉しか出ない。
 菫が何故そんな事をずっと続けていたのか。
 それはもちろん、俺がちゃんとした生活を送っているか、様子を見る為だ。
 基本は何かと世話を焼いてくれるのだが、一度自分の怠惰な生活ぶりを発見すると、先程も述べたように、長々とした説教が始まってしまう。
 普通であれば、学生達は週末になるにつれ、「もうすぐ休みだ」と、次第に気分が高揚していくものであろう。
 しかし自分は逆で、週末に近づくにつれ、気を引き締めていかなければいけない。
 菫がやってくる前の日である金曜日に、何かと隠蔽工作を働いたものだ。
 とはいえ、菫が毎週欠かさずここに来ていたのも、去年の秋までの事。
 菫は今、中学3年生。つまりは受験生だ。
 当然、受験勉強やら何やらで、休みの度にこちらに来ることは出来なくなった。
 11月あたりから徐々にここを訪れる回数は少なくなり、今に至っては、ここ最近こちらに顔を出したのは、1月の中旬以来、約一カ月振りの事となる。
 ――――ああ、そういえば。
 ふと思い浮かんだ疑問を、菫に尋ねた。

「そういえば、いつもは土曜に来るのに、今回はまた何で一日早く?」

 今日の日付は、2月19日、金曜日。
 来る頻度が減ったとはいえ、訪れる曜日は土曜に固定されていた筈だ。

「今日は学校が早く終わったんですよ。もう一カ月も兄さんに会っていないから、どうせならたくさん一緒に過ごせるようにと思って」
「わざわざそう急がなくても……」
「私が勝手にそう思って来ただけですよ。兄さんは気にしないで下さい」

 その勝手に、こちらは戸惑わされたわけなんだけど。ああ、落ち度があるのはこっちだったか。
 何にせよ、この話を蒸し返しても、分が悪いのはこちらだ。

「それより兄さん、このクリームシチュー自信作なんですよ。どうですか?」

 先程から何度も口に運んでいたけれど、答えは考えるまでも無い。

「ああ、おいしいよ。菫の料理、久しぶりに食ったからかな、余計そう感じる」
「そうですか、良かった」

 菫は俺がクリームシチューを食べるのを見ながら、にこにことしている。
 なんだろう、今日の菫は心なしか上機嫌なように見える。
 そんな菫につられて、俺の口も滑る。

「うん、ホントにおいしい。久しぶりだよ、こんなまともな食事」
「へぇ……久しぶりなんですか。まともな食事が」
「!」

 しまった。菫は背筋の凍るような笑顔でこちらを見ている。また墓穴を掘ってしまったみたいだ。
 一人暮らしの俺の生活費は、両親から毎月一定額を貰ってまかなっている。
 その中には小遣いも含まれているのだが、当然無駄遣いばかりしていいわけはなく、趣味にばかりお金を費やさないで、ちゃんと毎日の食事でバランスの取れた栄養のあるものを食べるようにと、菫から散々言われていた。

「兄さんが今日買い物へ行って買ってきたもの、さっき見たんですが、インスタント食品や冷凍食品ばかりでしたね……」
「…………」
「それと、兄さんの部屋を掃除しようと部屋に入った時に、ベッドに積まれている数十冊の本を見つけました。あれ、全部でいくらぐらいしたんですか?」

 完璧に、全て読まれていた。
 俺はこんな性格だから、昔から家に引きこもりがちで、小説を読むのが趣味だった。
 家でも学校でも、暇なときは大体本を読んでいる。
 しかしながら、それだけ本を読んでいると、読む本の購入代も馬鹿にならない。
 図書館などで借りたりすればいいのだろうが、俺は極力読む本を自分で購入し、自分の手元に置いておきたいという、何ともお金のかかる主義の持ち主だった。
 その為、本の購入費は必然的に食費から削ることになり、くわえて、読書により時間が削られ、面倒な家事をしなくなりがちになり、簡単なインスタントや冷凍食品に頼ることになってしまう。
 そして当然ながら、自分で料理をしないで、インスタントや冷凍食品を頼れば、その分余計にお金がかかる。
 俺個人の経済事情は、更に圧迫されてしまうのだ。なんて見事な負のスパイラルだろうか。
 菫が突然来たために、それらの証拠を隠す事もままならなかった。
 というより、久しぶりだったので完全に忘れていた。
 だが、先程と同じで菫の反応は、

「もう、せめて私がいる週末だけは、まともなものを食べてもらいますからね。さ、今日の分も残さず食べてください」
「あ、はい……」

 やはり、いつもの説教が後に続かない。
 思えば、ここへ来る頻度が減る事に比例して、菫が俺に対して説教をする回数も減ってきているような気がする。
 そりゃあ、顔を合わせる回数が減れば、自ずと説教の回数も減る。
 だけど、それ以上に、菫が怒ることが少なくなってきているように感じるのだ。
 そういえば、一カ月前に菫が来たときは、説教なんて受けただろか?
 ぱっと頭に思い浮かばない。
 まあ、菫だって大事な高校受験を控えているのだ。自分の事を優先して、他の事が疎かになる事もあるだろう。
 ……いや、でも菫だったら、一つの物事に手を掛け過ぎて、今まで続けてきた事を疎かにするような、今までの均衡を崩すようなバランスの悪い事はしない筈だ。
 頭の中を、妙な違和感が掠めていく。

「兄さん?」
「ああ、いや、何でもない」

 ちょっと気にし過ぎかな。
 無理矢理に思考を切り替え、疑問を払拭した俺は、再び食事へと手を付けた。


「それで、この一カ月間は何も変わりはありませんでしたか?」

 菫が訪ねている事は、俺の能力について、他人にそれが見つかってはいないか、ということだろう。
 俺が実家を出て、菫が心配しているのは、何も俺の生活能力が低い事だけじゃない。
 菫はここに来る度に、今のような事を俺に尋ねてきていた。

「大丈夫だよ、問題は何もなかったさ」
「それならいいんですけど……」

 夕食を終えた後は、俺と菫とでそれぞれ近況を報告し合い、談笑へと相成った。
 俺が話せるのは親友の博人との事や、最近読んだ小説のことぐらだ。
 他に話のネタになるようなものは持っていないし、そんなものを得れるような生活を送っているわけではないので、喋るのは専ら菫ではあったが、それでも自分にとっては楽しい一時を過ごせたと思う。
 元々友達もろくに居ない自分にとって、話し相手は菫が主だった。
 菫と過ごした多くの時間はかけがえのないもので、それは今も同じだ。
 わざわざ隣の県まで来て、話し相手になってくれるその彼女の行動は、今の俺にとって非常にありがたいものだった。
 怒られるのは確かに怖いけれど、それ以上に優しくて、献身的に世話をしてくれる妹である事も、また確かなのだ。
 しばらく話しこみ、良い頃合いになったところで、それぞれ入浴を済ませ、二人とも就寝することにした。
 俺は自室で、菫は余っているもう一室で寝る。
 別に居間で寝る事も出来るが、せっかく部屋が余っているのだからと、俺は菫にもう一室の部屋で寝る事を進めていた。
 さて、お互い部屋に戻ろうかというときに、菫から声を掛けられた。

「久しぶりだし、今日は兄さんと一緒に寝てもいいかな?」
「えぇ?!」

 ピンク色のパジャマを着た菫が、こちらに微笑みかけながら、酷く魅力的な提案をしてくる。
 これだけかわいい女の子からそんな事を言われれば、さしもの自分でも黙っておけないというものだけれど、いかんせん菫は妹だ。
 この歳にもなって、流石にそれはまずいだろう。俺は平静を装って、菫の提案を断ろうとした。

「す、菫? さすがにこの歳にもなって、兄妹とはいえ一緒に寝るというのは――――」
「ふふ、冗談ですよ。お休みなさい、兄さん」

 可愛らしくそう言うと、菫は部屋へと戻っていった。
 そして自分はというと、妹である菫の冗談に内心かなり動揺しながら、その心を鎮める為に、自室のベッドへと潜り込んでいた。
 全く、菫も言うようになったものだ。だけど、ああいう心臓に悪い冗談は、出来れば止めてほしい。
 妹であるとはいえ、そもそも女性に対して、自分は全く免疫がないのだから。
 まあ、今日は疲れたし、とにかく早く眠ることにしよう。
 やはりというか、本当に疲れていたのだと思う。
 多少の気持ちの昂ぶりがあったものの、それもあっという間に抑えられて、俺はその心地よい睡魔に身を委ねた。

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プロフィール

羽子茉礼志

Author:羽子茉礼志
オリジナルの短編・中編・長編小説を公開しています。

連載作品:異色の御花
     中編置き場
     短編置き場

『小説家になろう』でも作品を公開しています。
http://mypage.syosetu.com/164658/

当サイトはリンクフリーです。
コメント等も大歓迎。
小説の感想や要望、相互リンクのお願いなどは、下記のアドレスにメールしていただくか、コメントにてお願いしますm(__)m
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